“標準”語なんて、そしてその文法なんて、そもそも存在しないんだよ。それは、国がアイデンティティを維持するため、マイノリティが「俺たちは固有の言語を持つ別の民族だ。独立するぞ。」と主張するのを抑えるため(すなわち、「固有の言語でなく、標準のバリエーションたる方言だ」と卑しめるため)、にでっち上げられたものだ。(さらにいえば、そこに経済的・心理的な格差を導入することで、方言への差別意識を育て、貶める。)(あぁ、『吉里吉里人』は美しいなぁ。我がバイブル。)
 
だから、「言葉が乱れている」、「バイト語をやめろ」等々とのたもうている方々は政府の犬、御用学者の類である、というのは飛躍なのかな。
 
コミュニティにはコミュニティ内のみで使用・理解される隠語・使い回しがあり、それがコミュニティの結束を強める。だから外部からは目の敵にされる?
 
“バイト”が社会的弱者だから、強者にはその言葉が卑しく映り(方言と同様の機構)、それ故に責め立てられる?
 
むかつくのは、“美しい言葉”とかぬかす連中が、“母語(要は方言)”ではなく“標準語”を使うことか。おまえもな。いや、だから言葉の乱れとか、俺は言わんし。