2004-10-02 ■ 結局、何に対しての「対価」なのか、っちゅうことで。 「死んだ、終わっちゃった学問」に対する無駄な努力に膨大な対価が支払われ、「生きた学問(学問…、ニュアンスがずれるが、まぁいいや)」への努力は、もっぱら“わたくしの犠牲”に成り立つという…。