『人間はどこまでチンパンジーか? 人類進化の栄光と翳り』 J・ダイアモンド著 長谷川真理子長谷川寿一訳 新曜社ISBN:4788504618
と、いうわけで、読んでしまいました。日本脱出の際、山と積まれた(段ボール箱2近く)未読ハードカバーの中から、「これだけは!」と持ち出した3種(4冊)の中の一冊。持ってきたかいがあった。すばらしい一冊!私は、後で見直すために重要と思う部分を折っていくのだけど、全体にわたってほとんどが折り目ばかりで、どこが重要なのか分からない状態に。これほど折ったのは『赤の女王』以来か。。
これと出会ったのは、バイオ高分子で東京へ赴いた夏、初めてジュンク堂へ行ったときでした。その時、すでに『銃・病原菌・鉄』を読み終えており、その中でこの本の事が書かれていたので、存在は知っていた。訳者も長谷川真理子・寿一なので、即買いであった。(2年前かー。池袋駅、暑かったなぁ。初めてみんくるバスを見たのもその時だよ。)懐かしきかな。
本書では、人の生物的、さらには精神的な特徴について、動物たちと比較することで自然の中での位置を検証していく。人と動物の、実は意外なほどの近さ、また、それにもかかわらずこれほどの違いがあるのはどこに原因があるのか、を明らかにしていく。
そして本書で著者が強く主張する点は、ヒトが陥っている危うさについて。人は様々な優れた特徴を持つ一方で、あまりにも愚かな面も持つ。ジェノサイド・環境汚染、などなど。これらの性質は、現在に急に現れたものではなく、常にヒトが持っていた事を明らかにし、それが起きる“条件”を示す。そして、現在のヒトの状況を見据え、警鐘を鳴らす。現在の状況は、このままでは絶望的だが、まだ希望はある、と著者は述べる。
と、全体の流れはこういう感じ。が、元は様々な雑誌へ寄せた記事を集めたものだそうで、内容はかなり幅広い。それ故に、物足りない部分もあるのだけど、著者自らが述べているように、本書は全体を俯瞰する目的なので、仕方がない。これを足が係りにさらに深く学ぶのが良いのでしょう。
以下、もう少し詳しく。
まず、ヒトという種が類人猿といつ・どのように分かれてきたのか、を化石並びに(当時はは最新の手法であった)DNAの変異から解析する。そして、ごく最近まで他の動物と大きな違いがなかったとこを示す。「ヒトは、徐々にヒトに近づいたというより、ある時、大きな変化があった」、この辺も、“常識”とは違っていて刺激的。
ヒトがこれほど特殊となった理由として、生物的な基盤を無視することは出来ない。そこで、ヒトの生殖・言語・芸術・農業について、動物との比較・進化の視点から解説がなされる。この辺は、私的にはおなじみの部分で、物足りないかなーと。(訳者もあとがきで苦言を。もちろん、相変わらず刺激的なのだけど。進化についてのちゃんとして説明もないんだよな。)この辺は、なんといっても『赤の女王』(そして『進化と人間行動』、『進化とは何だろうか』)で補って欲しいですね。
そして、話は「農業」まで来たので、ここからは、さすが『銃・病原菌・鉄』の著者!侵略、虐殺、ヨソ者嫌い、なヒトを容赦なく白日の下に。
自由な旅行、広い地域で均一な思想と言語は、ヒト本来の姿ではなく、(現れた時に差はあるが)“最近”のものであることが述べられる。“ヒト本来の姿”ではないかと例として示されるのがニューギニア高地。ここには非常に狭い地域に多数の言語(それぞれの言語は大きく異なる)が存在し、ヒトは生まれた土地のごく近くで一生を過ごし、他の土地へ赴くことは死を意味する。原初のヒトを残すと思われるこの状態と比べると、世界の言語は不気味なまでに均質である。特に、ヨーロッパを覆う印欧語。著者は、印欧語の起源と、それが生まれた背景へと迫る。『銃・病原菌・鉄』より前の時代の起きたであろう「ブルドーザー」現象。様々な資料・解析からその真実に迫る。“当たり前”と思っていたことが覆され、その原因に迫るこの興奮!
そして、地球外生命体の可能性と、彼らとの出会った場合について。じ・つ・に、著者らしい意見が。私は(ゲーム理論の考察から)もう少し楽観的なイメージを持っているのだけど…。たしかに、歴史を見れば、著者の言うとおりである。
残りの章は、ヒトのジェノサイド、自然破壊。これらは、現代のヒトの異常な行動なのか?ここでも著者は、動物の例、人の(胸が悪くなる)歴史を示し、これらが現代の病ではなく、常につきまとっていることを明らかにする。そして現代がどのような状況なのか、このままだとどうなるのかを明確に述べる。
過去、何度となく行われた自然破壊と絶滅。無知によりなされたこれらの行為は、責められるものではない。しかし、どうなるか知る術を持ち、それが明らかであるにもかかわらず同様な結末に至れば、それは罪である。人は、愚かに見える。何度も同じ失敗を繰り返す。「何も学ばれることなく、全ては忘れられるのか?」否、そんなことはない、と著者は述べる。