恥ずかしい話、今頃になって『ワンダフル・ライフ』(スティーブン・ジェイ・グールド著、ISBN:4152035560)(文庫はISBN:4150502366)を読んでいる。話題になった当時(10年前)に買ったハードカバーである。(実は、ドーキンスがけちょんけちょんに書いていたので、遠ざかった面もある。)おぉ、背が日に焼けて…。(「ハードカバーは送るな」と言っていたのに、間違って送られてきた一冊。いや、私の伝え方が悪かったのだけど。相棒の助けには、これ以上ないほど感謝している。)
なるほど、これはいい、そしておもしろい。内容は有名だけど、バージェス頁岩で発見された“奇妙な生物たちの化石”の分類において、研究者がいかなる努力、苦労を経て“常識に反する結論”へと到達したか、そして、それがそれまでの“進化・生物の概念”をいかに揺るがすものであるか、を研究者の姿から述べられてゆく。
たぶん、まだ謎のままなのだろうけど、私の長らくの疑問ともオーバーラップする。生命の誕生が“早い時期”なのに対し、多細胞系が生まれたのがどうしてこんなにも“遅い”のか。
直感的には、生物の進化上、最も大きな障壁は、(原始的な)生命の誕生そのものにあると思える。つまり、最も“時間がかかる”のは生命の誕生そのもので、その後は速やかに進行するのではないかと。しかし、実際の(地球で起きた、一度きりの)“実験結果”はそれとは異なり、生命の誕生までに要する時間(化石により同定)は驚くほど短く、その後の単細胞生物の期間があまりにも長い。そして、いったん多細胞システムが“発明”されると、一気にその種類が増える。
この事実は、多細胞システムの発明が、生物の歴史で最も困難で、大きなものであった事を意味する、のかなぁ。
まぁ、そう考えれば、多細胞系が“発明”された時点で、その優位さから単細胞生物を駆逐し、一気に様々な型が生まれた(カンブリア紀の爆発)、その後大きな変化がないのは、すでにニッチが占められてしまったからだ、と推論出来ると思うのだけど。どうなんでしょう。しかし、多細胞系の発明がそんなに困難なものかな。
さらに、関連して。もう、えらく前の話だが、ROMしていたMLで、生物の自然発生に関してエライ議論になったことがあった。セイブツノカタガタの「生命の自然発生なんて事は絶対に無いんだ」という主張と、「ほとんど無いけど、起きるかも」という主張のぶつかり合いだった。
私は発言しなかったのだけど、地球における“実験結果”からいって、生命の自然発生の確率は、相当高い(曖昧な表現だけど、地球程度の容量があって、有機物その他の条件が揃っていて、たかが数億年に一度は起こる)と思っていた。しかし、生命発生は地球の歴史に一度限りで、これほど“起こりやすい”現象がなぜ一度しか起きていないかと言えば、その後の自然条件では(おそらく)生命の発生に不可欠な有機物の濃縮などが既存の生物によって阻害されるため(つまりニッチがないため)、と考えていた。だから、条件さえ整えてやれば(それがどんなものか謎だけど)“簡単に”起きるんじゃないかなぁと。それにしても、化屋の目で見て、これほどのシステムが、こんな高確率で偶然に生まれるなんて信じられないのだけど…。実験事実は実験事実だしなぁ。
しかし、この実験は一度きりだから、まだなんとも。もう少しサンプル数を増やさないと、真実とは言えないのだけどねぇ。
私が生きているうちに、太陽系外惑星の生命調査なんて、進むわけがないわなぁ。残念だ。