『無限の天才 夭折の天才・ラマヌジャン』(ロバート・カニーゲル著、田中靖夫訳、ISBN:4875022395bk1
bk1すばらしい書評を読み、文庫本以外は買わないという縛りを破って購入した一冊。確かに、面白かった。(最高、というほどでもなかったのだけど…。)
主人公であるラマヌジャンは、インドに生まれた天才数学者。若い頃から数学への才能を示すも、数学にのめり込んだが故に通常の教育課程では落ちこぼれてしまう(そういえば、『数学をつくった人々』に、こういう状況になることを見越して、「いついつまでは数学にふれさせないように」と忠告された天才数学者の話があったな、誰だったか)。そして、独学で数学を学び、西洋の天才達の成果をそれと知らぬままに再発見、また、新しい・魅惑的な方程式を発見する。
そして、そのままでは(インド社会では、その大学で落ちこぼれた学歴が災いして)表舞台にあがらぬまま埋もれてしまうところだったが、ラマヌジャンがコンタクトしたイギリスの数学者の一人、ハーディーが彼に注目する。ハーディーの薦めに従い、カーストの戒律を破ってイギリスに渡ったラマヌジャンは、ハーディーらケンブリッジの数学者達と実り多い研究を行うが、慣れない異郷の地、その環境、さらには始まった世界大戦による“(戒律に従って)食べられる”食料の不足、そして残してきたインドの家族のトラブルなどによってその身をむしばまれてゆく。そして……。
と、いうストーリー。
南インドとイギリス。照りつける太陽ととどんよりとした曇り空、開けっぴろげな心と距離を保つ心(ハーディーもラマヌジャンの心を理解せず、友とはなり得なかった)、……、この間の大きな差異に蝕まれる天才、っちゅうのに特に惹かれたのが、購入した理由だったりする。
本書にもあるが、この辺を理解するには、時代が20世紀の初め頃であり、(今よりも遙かに)インドがインドらしく、イギリスがイギリスがらしかった、ということを考慮しないといけないのだろう。今じゃぁ、(それでも、もちろん差はあるだろうが)人は均質化し、インド・中国の食材は、どこでも手に入るからなぁ。
そして、数学。信仰と密接に結びついた、神秘的なラマヌジャンの数学的閃きはすばらしい。しかしながら、数学には厳密な証明が必要となる。ラマヌジャンは、独学であったがゆえ、これを欠いていた。ハーディーは、これをラマヌジャンに教えるのだが…。これがハーディーの凄みであり、功績なわけだが、彼はその時代、証明の厳密性を大陸からイギリスに持ち込んだ厳密性の騎手でありつつ、ラマヌジャンの(に限らず)数学的閃きの重要性・貴重さを理解していた。そして、その閃きという才能を潰さぬかと恐れ、細心の注意を払いながら、ラマヌジャンを導いていった。なんというか、正に奇跡的な組み合わせ。(それでも、二人は心を通わせることがなかったわけだが…。)
本書を読むまで、ついつい勘違いしていたのが、この数学的閃きの重要性。数学というと、一歩一歩積み上げてゆく証明の重要性に目を奪われていたのだけど、それはむしろ訓練で修得される種類の技術。大切なのは、何を証明するか、であり、そのターゲットを見いだす力。本書で紹介されるラマヌジャンの方程式(ほんの一端のみだが)は、まさに神秘的。こんなのを構築できるなんて、(それが、歴史上でも数人に限られるとはいえ)ヒトの脳とは不思議なものだ…。