『ワンダフル・ライフ』(スティーブン・ジェイ・グールド著、ISBN:4152035560)(文庫はISBN:4150502366
先日、読んでると書いて、それきにりになっていたな。
書いたとおり、バージェス頁岩で発見された化石達が、どのような道をたどって現在知られる“奇妙な生物”へと復元されたか、そしてこの奇妙な生物たちがかつて存在したことは、何を物語るか。

この化石達を、現在の姿に復元したのは、発見者ではない。発見者は、これらを“普通の生き物”に押し込んでしまった。そして、それから長い時を経て、別の研究者(グループ)の手によって、その真の姿が“発見”される。
彼らの違いは、どこにあったのか。著者は、「“再発見”がなされた過程・関わった研究者達の心」、また、「“最初の発見者”がいかなる人物であったのか」、から、その核心に迫る。
科学は、個人の状況・心・思想と強く結びつく。それが、明らかにされるさまが興味深い。

そして、かつて、現在よりも遙かに幅の広い生物たちが存在した事実から、生命・進化に対する一般的な概念に揺さぶりをかける。また、ヒト、知性の存在が、“たまたま起こったことである”とする。

なんだけど、私には、(未だに)著者のいう断続進化が理解出来ない。「中立変異が蓄積して、ある時に大きく変わる」、という話じゃないんだろうな。(だったら、中立進化で良いんだし。)断続進化の機構がある、と主張しているのだろうけど…、根拠は、化石なのかな。機構的根拠を未だに知らない。これは、著者が書いているだろうから、知らないのは私の不勉強ゆえなのだけど。

これに関しては、ドーキンスの激しい攻撃を先に読み、そちらにすっかり同調している、という面もあるのだけどね。

そして、ヒト、知性、意識の発生について。ヒトタイプでなくとも、神経系を持つ生物が生まれれば、知性・意識は発生するだろうとも思っていたのだけど、たしかに、神経系の集中させる脊椎動物、その基たる脊索動物が生き残っていなかったら、知性の芽生えはないかも知れない。そして、脊索動物が生き残ったことが偶然であろうことから、生命が誕生しても、知性は生まれないことが多いのかも知れない。

でも、神経系でなくとも、あらゆる複雑なネットワークは知性を生み出す可能性があると思うな。例えば、昆虫の相互的なネットワークは、知性を生み出しても不思議はないのでは?そして、初めは効率が悪くとも、それが有利であれば、進化は高スピード・高効率な形を創り出すのではないかな?